EX=Gene

 

外伝一・五話 「バネ仕掛けの英雄(ピエロ)」


           ― Jack In The Box ―



              
Act.4:「 ラウンディング…… 」




今から二年程前EX=Geneがちょうど潜伏期を終えて頃、世界中の動画サイトがお祭り騒ぎになっていた時期があった。
地獄のような変異期を終え、症状が安定した『強化人類』たちがちらほらとネット上に姿を表し始めたのだ。
ネットの住人たちは火花を走らせる少女や火を吹く男、カメラの隅を掠める奇怪な影を巡って盛んに意見を戦わせた。

しかし、公開された画像や動画の大半はピンボケで手足の一部しか写っていないものばかりだった。
ネットの住人たちは新種のUMA――当時俺たちはそう思われていたんだ――の全身像を写した画像を喉から手が出るほど欲しがっていた。
その願いはなかなか叶えられなかった。

当たり前だな。
誰だって化け物みたいに変形した体を人目に晒したくはない。
身内に不治の奇病の感染者がいると分かった場合、善良なる一般大衆がその家族をどんな目で見るのか想像出来ない馬鹿もいない。
だから、懸命な大多数の『強化人類(イクステンデット)』は世間の目を避けて、家の中におとなしく閉じこもっていた。

しかし、百人近くいる異形異類のものたちを永遠に衆目から隠しておく事もまた不可能だった。
記念すべき第一次変異期終了から約一週間後。
ネタに餓えてネットを泳ぎ回るピラニアどもに全身像だけじゃなくて自分の肉声までも提供しちまった馬鹿がとうとう現れたのだ。
ネットの暇人たちからは喝采を、仲間たちから盛大なブーイングを受けたその馬鹿こそ……何を隠そうこの俺だったりする。

一応弁明させてもらえば、俺だって好き好んで馬鹿騒ぎの神輿になったわけじゃない。
あれはちょっとした不注意と不運の結果だったのだ。
変異期を終えて異能者となったばかりの俺は、自分の能力を使って夜の散歩をする事に取り付かれていた。

いやいや、ただの散歩と侮る事なかれ。
強化人類(イクステンデット)』としての能力をフルに発揮して夜の町を駆け抜けるのは軽い麻薬みたいなものだったね。
普通人の短距離走の世界記録は大体時速三十六キロぐらいだが、『強化人類(イクステンデット)』の体はその二倍、三倍のスピードで何十キロも走る事ができるのだ。
加えて、俺には文字通りどこかのアメコミのヒーローみたいにビルを一跳びできる能力が備わっていた。

ちなみに最初期のスーパーマーンは空を飛ぶんじゃなくて、凄いジャンプ力で地上を跳ね回っていたんだ。
これ、失踪したアメリカ人の親父が教えてくれたトリビアな。

はじめの頃は、俺もびくびくしながら外を出歩いていた。
しかし、次第に誰も俺の事に気付かない事がわかってきた。
都会の人間って奴はいつも地面ばかり見て歩いている。
だから、以外に誰もビルの屋上や壁を物凄い速さで跳ね回る変な奴に気付かないのさ。

その事がわかってから、俺は段々大胆になっていった。
ある日、俺は木の上に隠れて溢れる熱きリピドーを生の視覚情報によって慰めようとしている若人……要するに女の子のお風呂を覗こうとしていた出っ歯亀の小僧を見つけた。
そして、止せばいいのに警官時代の習慣がむくむく頭をもたげた俺はそいつに少しちょっかいをかける事にした。
以下はその小僧の視点から、俺が何をしたのか語る事にしよう。

『薄くなり始めた夕暮れの空。
その向こうに小さな人影が見え始める。
はじめはごまの粒のように見えたその影は見る間に大きさを増していった。
何かがおかしいと言う違和感……。
よく見るとその影は歩いているのではなく、飛び跳ねながら移動していた。
それも助走なしで五、六メートル、いや下手をすると十メートルは跳んでいる。
背筋を戦慄が這うと同時に、更なる違和感に気付く。
近づくにつれて、人影の手足がだんだん、だんだん伸びているのだ。
普通の人間の二倍から三倍、三倍から四倍……。
そして、とうとう五倍以上の長さの手足を持つその怪人は道化じみた動作で、木の上にいる自分を見下ろして言った。

「よほほほーい♪ おちびちゃん、何を見てるのかジャックおじさんに教えてくれるかい?」

馬鹿でっかい悲鳴を上げて、木から転げ落ちる。
隣りの家のお風呂から同じように悲鳴が上がる。
覗きがばれたのだが、そんなの気にしている精神的な余裕はなかった。
怪人は仰け反って大笑いをすると、両手両足を一端縮め、
ホップ!
ステップ!!
ジャンプっ!!!
たったの三回の跳躍で、視界から完全に姿を消してしまった。』


頼む……。
そんな眼で俺を見ないでくれ。
あの時は頭がどうかしていたんだ。
能力をフルに使って走っていると、アドレナリンどくどく脳みその中に湧き出してちょっとハイになるんだよ。

俺にとって計算違いだったのは出っ歯亀の小僧が掌サイズのデジタルカメラを持っていた事だった。
小僧はその後覗きの現行犯で捕まったのだが、そのデジタルカメラの中には俺がやったお馬鹿な悪戯が余さず写っていたのだ。
そしてどう言う径路を辿ったのか、その日のうちにデータ―がネットに流出した!!

次の日の早朝、お気に入りの動画サイトを覗いた俺はぶっ飛んだ。
物理的に飛び上がった。
天井に頭をぶつけた。
そんで部屋中をのた打ち回った。
痛みじゃなくて、恥ずかしさのせいで。

例えるならば、あれだ。
自分が高校生時代に書いた青臭い詩を世界レベルで配信されたようなものだ。
皆も有るだろ、そう言う経験。
俺は今でも時々、あの時の動画をネットで見掛けて悶える事があるよ。

唯一の救いはうっかり撮影された時に覆面をつけて素顔を隠すだけの分別が俺にあったと言う事だ。
真っ赤な鼻が着いたピエロの覆面さ。
あれのお陰でいろんなあだ名が着いたな。
『ぴょんぴょんピエロ』とか『ジャンピング・ジャック』とか……。
その後、多少ましなセンスを持った奴が昔イギリスで暗躍したある都市伝説の主人公を持ち出して来て、結局その呼び名が定着した。
その名前は後に俺のコードネームにもなった。

当時の俺の人気は凄いものがあった。
テレビにも何度も出たぜ。
動画だけだったけどな。

だけど、ちっとも嬉しくなかったよ。
盗み撮りされた映像で有名になっても俺自身には何のメリットもない。
むしろ、デメリットのほうが溢れ返るほど湧いて出た。

例の動画が公開されてから一時間と立たずに、俺は同じ『強化人類(イクステンデット)』のコミュニティの奴らから吊るし上げを食らった。
俺のMSNメッセンジャーが一分ごとに例の『ぴろん♪』を奏で、その度にバラエティ豊かなお叱りの言葉が送られてきた。

『皆が必死に身を隠している時、何をやっているんだ、このアンポンタン!』
『他の馬鹿どもが調子に乗って真似したらどうするんだよ、馬鹿!』
『さては、家の雨漏りお前のせいだったんだな! 弁償しろ!』

……流石に最後の冤罪だと思うが、俺はひたすら謝り倒した。
あんなに頭を下げたのは後にも先にもあの時だけだったよ。
最後には謝りすぎて腰と首が筋肉痛になっちまったな。

あの騒ぎが後一月ぐらい続いたら、流石に自他ともに認めるバリケードな神経の持ち主である俺もノイローゼにかかっていただろう。
だが、幸いな事に俺の動画が発表されてから、一週間ど経たないうちに他の『強化人類(イクステンデット)』の動画がネットの上に配信された。

そいつは赤ん坊を救うためにトラックを真っ二つにする、と言う俺をはるかに超えるダイナミック・アクションによってネット上の話題を一気に攫ってしまった。
そして、洒落のわかる誰かさんがまたそいつにイギリスで活躍したかの有名な殺人鬼の名前をつけた。
即ち―――

世界で最も有名なジャックこと、『切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)』。
そして、あの騒ぎで俺につけられた渾名が『バネ足ジャック(ジャック・スプリングヒールド)』。

かくして、ヴィクトリア朝のロンドンに暗躍した二大怪人が現代の東京に蘇ったわけだ。

始めて『切り裂き屋(リッパー)』の動画を見た時……。
俺は先ずその破壊力に驚いた。
続いてあいつの行動力に感動した。
そして最後に……あいつの存在に嫉妬した。
俺が長年追い、求め、終には諦めた者がそこにいた。
見ず知らずの赤ん坊のために躊躇なく自分の社会的な命を投げ出す英雄が。

俺にブーイングの嵐を浴びせた仲間たちにも『切り裂き屋(リッパー)』の行動を責めるものはほとんどいなかった。
彼らは『切り裂き屋(リッパー)』の行動に理解を示したし、大半のものは彼に同情的だった。
だけど、皆将来『切り裂き屋(リッパー)』を待ち受ける運命を思って暗澹たる気持ちになったものだ。

予想は見事に的中した。
国内外の諜報機関、何を研究しているのかも不明な妖しげな研究所、そして本来同胞であるはずの『強化人類(イクステンデット)』の犯罪組織。
思いつく限りの有象無象どもが俺たちの身辺に押し寄せてきた。
幸い、俺は覆面で顔を隠していたのと、逃げ足に自信が有ったお陰で辛うじて難を逃れる事ができた。
しかし、昏睡状態にある家族を守るために逃げ遅れた『切り裂き屋(リッパー)』はやつらによって発狂寸前にまで追い詰められたと聞いている。

切り裂き屋(リッパー)』は『華神(フローラ)』の助けを得て、外道どもを退けた。
この時の出来事が切っ掛けで俺は、あいつに対してある種の負い目を感じるようになった。
俺の代わりに火の粉を被ってくれた奴を見捨てたような罪悪感を襲われたのだ。

だが、ぐだぐだ悩んでいるのは性に合わない。
俺は考えるよりも先に行動するタイプの人間なのだ。
始めて顔を合わせた時に、素直にあいつ謝ってすっきりしようと思った。
そしたら、『切り裂き屋(リッパー)』の奴、俺が謝罪の謝の字も口にしない内に

『おい、あんた大丈夫だったか? 俺みたいに酷い眼にあっているんじゃないかって心配してたぜ』

とびっきりの奇襲を食らわせやがった。
馬鹿野郎、お前どこまでお人よしなんだ!って叱り付けてやりたくなったよ。
お前にそんな事言われたら、俺が謝れないじゃないか!
あの時以来、俺はあいつにちゃんと謝る事もできず、かと言って『切り裂き屋(リッパー)』に対するもやもやした罪悪感を捨てる事もできずに今に至っている。

それだけじゃあない。
あの後で、『切り裂き屋(リッパー)』は自分をあんなに酷い目に合わせたくそ餓鬼どもをあまり怨んではいないと言っていた。
それを聞いた時は、こいつ殴られて過ぎて頭がちょっと可哀想な事になったのか?っと心配になった。
だが、直にそれは俺の間違いだと言う事が分かった。

切り裂き屋(リッパー)』は俺の想像を越えた筋金入りのお人よしの馬鹿だったのだ!


◆  ◆  ◆


人が二人、肩を並べて歩く事も難しそうな路地裏で俺はあいつを待っていた。
餓鬼の頃から俺はこう言う狭くて、汚くて、薄暗い場所が大嫌いだった。

……俺の家がこんな場所だったからだ。
一人住むのも狭苦しい小さな家の中に押し込まれた三人の家族。
部屋中に溢れるゴミのような家具と家具の形をしたゴミ。
片付けもできないくせに賭け事が止められない人間の屑のような親父。
腹に収まる食事までもジャンクフード……。

やがて電気も止められ、俺の家から終に明りまで消えてしまった。
暗く、狭く、蓋の閉じた箱のような息苦しい部屋。
遠くの家からこぼれる明りを見ながら、俺は何時も自分の家を飛び出す事ばかり考えていた。

だけど、何故だろう?
警察学校を卒業して念願の警察官になった時も、
異能力を得て、『始末屋(イレイザー)』になった後も、
気が着けば俺はこのゴミ溜めみたいな場所に戻っている。
まるで、びっくり箱のピエロがどんなに高く飛び跳ねても最後には暗い箱の中に戻ってしまうかのように……。

とすると、この建物と建物の間にある狭苦しい空間の果てに見えるもの。
あの普通の人々が行き交う表の世界はさしずめ箱の蓋の隙間から毀れる落ちる一条の光と言ったところだろうか?
うん、我ながらなかなか良い例えだ。
どちらも、決して俺の手の届かないものだと言う点に置いては全く同じだ。

そして、その光を遮るように俺の前に立つ真っ暗な人影。
小さく構えた掌にはもう絶縁体の手袋に包まれていない。
砕け散る青い火花が象るその輪郭。
ああ、ようやく会えた――

「よお、兄弟(ジャック)。『切り裂き屋ジャック(ジャック・ザ・リッパー)』。久しぶりだな」
「ジャック……『バネ足ジャック(ジャック・スプリングヒールド)』。なんでこんな馬鹿な真似をしたっ?」
「ちょっと毎日が狭苦しくて、足を伸ばして見た……って答えじゃ駄目か?」

肩をすくめ、ちょっとおどけた声で答えた。
バンッ!と机を思いっきり叩いたような音を立てて、あいつと近くにある鉄パイプの間で火花が散った。
どうやら、今の回答じゃ駄目なようだ。
ま、しょうがない。
「ちゃんと弁明するから、二人で会いたい」と言われてわざわざやってきたのにこんな返事をもらっては誰でも怒る。

だが、今の雷電のお陰であいつが本気で怒っている事が分かった。
そして、俺を心配している事も……。
切り裂き屋(リッパー)』、お前は本当に良い奴だよ。
でも、今の俺の仕事はお前を全力で怒らせる事なんだ。

「呼び出しといて悪いが、今はまだ本当の答えを教える事ができない」
「今は? まだ? じゃあ、何時になったらちゃんと返事をするんだ?」

自分に敵意がないことを見せつけるためだろうか。
最大にして唯一の武器である自分の右手の掌を背中に向ける、『切り裂き屋(リッパー)』。
今ここでこいつに本当の事を全て打ち明けられたら、どんなに良い事か。
しかし、俺たちは今まだ監視下にある。
この街の中にいる限り、俺たちはあいつ――名前も思い出せないあの『黒幕』――の腹の中にいるようなものだ。

その状況を覆すために、俺は今また一つ博打を打とうとしている。
一日に二回も自分の命を賭け金にする羽目になるとは俺もついていない。
しかし、他に方法がないのだから仕方がない。
とりあえず、今は全力を尽くすだけだ。
当たるか外れるか、後は神様の振るサイコロに任せるとしよう。

口を開いて何か喋る振りをする。
切り裂き屋(リッパー)』が俺の唇に注目した瞬間、能力を開放!
俺の体は一気に地上十メートル以上の高さに舞い上がった!

隣りに見える左側の建物の壁。
すぐさまそれを蹴って、右側の壁へ。
右側の壁に着地した瞬間、間髪いれずに斜め下の地面に向かって再度跳躍!
三角跳びならぬ、四角跳び!
俺は瞬時に『切り裂き屋(リッパー)』の背後に回りこみ―――

―――うぉっとやべぇ!!!

隣りの壁面に右手を打ち込んで辛うじて飛び出そうとする体を止めた。
俺が蹴って砕いたコンクリートの欠片が『切り裂き屋(リッパー)』に降り注ぐ端から目に見えない壁にぶつかったように火花を上げて弾かれる。

大出力のマイクロウェーブをスプレーみたいに撒き散らす事によって生み出される電磁の障壁。
電磁波系の能力者の中でも桁外れの発電力を誇る『切り裂き屋(リッパー)』だからこそできる荒技だ。
ちくしょう野郎め、さっき手を下げる振りをして背後に『電磁バリアー』を張っていたなっ!!

あのバリアーに触れたものはなんでも黒焦げにされる。
強化人類(イクステンデット)』であっても神経を電磁波に滅茶苦茶にかき回されて戦うどころじゃなくなる。
だが、それじゃあ駄目なんだ。
それだけじゃあ足りないんだ。

のんびり驚愕に浸っている暇はない。
戦闘体勢に入った『切り裂き屋(リッパー)』を前にして一つの場所に留まりつづけるのは、噴射寸前のロケットの真下でタンゴを踊っているに斉しい。
どっちも死ぬほど危険だ。

凄まじい速さで眼前に近づくコンクリートの壁。
すぐにその壁を蹴って反対側の壁へ、

そして右、左、右、左。
上下、上下、下下っ!
同じ事を繰り返し、兆弾する弾丸のように壁と壁の間を跳ねつづける。
これも全て強力無比な間接攻撃を持つ『切り裂き屋(リッパー)』に狙いをつけさせないため。
速度は天井知らずには値上がり、周囲の景色が解けるように輪郭を失っていく。

高速で移り変わる視界の端、残った手を掲げるあいつの残像が見えた。
前方にも電磁バリアーを張ろうとしているのか?
なるほど、『兄弟(ジャック)』、確かにそいつは鉄壁の二乗だ。
だけど、『切り裂き屋(リッパー)』気付いているか?

―――その構えだと頭の上ががら空きだぜっ!

コンクリートの壁を砕いて上昇する。
時速100kmを軽く超える速さで迫る建物の屋上の手すり。
それを木っ端微塵に蹴り砕いて今度は斜め下。
天空から獲物に襲い掛かる猛禽のように両足をそろえて突き出そうとして――

俺は標的を見失った。
刹那、俺は我が目を疑った。
その次の一刹那で、何が起こったのかを理解した。
切り裂き屋(リッパー)』め、残った腕で隣りの壁を切り裂いてビルの中へ逃げ込んだな!

やるじゃあないかっ!
さっきフェイントをかけてからバリアーを張った事と言い、決断の速さと駆け引きの上手さが前と段違いだ。
切り裂き屋(リッパー)』の奴、よほど手ごわい敵に相手に闘って、勝って、生き残ったな。

爆弾のような音を立てて着地。
反動で上に跳び上がりそうになる体を、両側の壁に腕を打ち込んで制止した。
伸びきった両腕の間でカタパルトの弾のように力を充填。

視界の端っこには『切り裂き屋(リッパー)』がその能力で空けた壁の大穴。
ふっ、そいつを潜ってビルの中に入ろうとすれば狙い撃ちってわけかい?
悪いが兄弟、その手には乗らないぜ!

餓鬼の頃から他人の如いた道の上を歩くのが苦手だった。
目の前にある入り口がつかえないなら、

―――てめえ、新しい奴をぶち開けるまでだっ!!

カタパルト発射!
砲弾のような勢いで壁に新しい穴をあけてビルの中に突入した。
豪快な音の後に、突然眼を刺す白々しい蛍光灯の光。
隣りの建物の中は有名なスポーツ用品店だった。

建物に突入した無防備な瞬間を狙われるんじゃないか、と言う恐怖。
いやいやこの速さと勢いなら大丈夫だろう、と言う希望的観測。
相反する二つの感情に生まれる冷静な思考。
それを利用して室内を見渡し、『切り裂き屋(リッパー)』を探す。

でかくて、広くて、障害物が一杯の店内。
一見探し物には不向きに見えるが、実はそうでもない。
切り裂き屋(リッパー)』が隠れている場所は大体見当がついているからだ。
あいつは最初に開けた穴から俺が入ってくるのを待ち伏せしているはずだから――

ほら、いたぁ!!
視界の端っこを過ぎる見慣れたコートの色。
上手く隠れたつもりだろうが、店内に置いてある姿見にコートの裾と肩がばっちり映っていた。
店の照明と姿身の反射の角度を概算。
一瞬の家に今現在のあいつの居場所を推測する。

壁に貼られてあった有名なサッカー選手のポスターに着地。
その顔をクレーターに変えて、再び跳躍。
店内に飾ってある他の商品やマネキンを破壊しながら、狙い撃たれないようにジグザグに移動。
計算が正しければ、これであいつは俺の目の前に

――いないっ!!

俺の目の前にいるのは奴のコートをかけたマネキンだけ。
切り裂き屋(リッパー)』め!
あの一瞬のうちに俺の考えを先取りし、絶好のスナイプ・ポイントにあえてダミーを置いたな!

反射的にタイルの床に拳を打ち込んだ。
強靭なバネとなった腕が限界まで伸びて、加速した体にブレーキをかける。
そしてその瞬間、理解が稲妻となって俺の頭を貫く。

しまった!と驚愕し、
同時にしてやられた!と感心した。

あいつは見事に俺の能力の弱点を着いた。
どんなバネでも伸びたら、必ず縮むもの。
俺の手足と言えどもその点は例外じゃない。
伸びきった腕が凄まじい速さで俺の体を背後へ引き戻す。
その先に、

――ああ、今度こそ本物だ。

紫電を宿す腕を掲げて待ち構えるあいつがいた。
もう何処にも逃げ道はないし、逃げる術もない。
あいつの体から放射される膨大な電磁波で頭上の蛍光灯が次々に弾け飛ぶ。



降り注ぐ千の火花の下で俺たちはすれ違い――



そして、俺は灼熱の線が自分の体を通り過ぎたことを知った――

 




……
…………
………………つめてぇ。

……顔と体に降り注ぐ冷たい飛沫が覚醒をもたらす。
靄のかかった頭でスプリンクラーが作動したと気付くまで十秒近くかかった。
視界が妙にちかちかするのは、点滅する蛍光灯の残骸のせいなのか。
俺の視力が失われている証拠なのか……。

右手のほうでだらしなく伸びているのは、多分俺の自慢の足だったものだ。
でも、あれは右足だったか、それとも左足なのか?
まあ、良いや。
もう役立たずだと言う意味じゃ、どっちも似たようなものだ。

耳元でガラスを踏み砕く音がする。
何故かやたらと重い体を酷使して振り返ると、返り血とガラスの破片で酷いさまになったあいつの姿が見えた。
その顔に浮ぶ怒りと悲しみがごっちゃ混ぜになったような表情。

「お、おめでとう、『切り裂き屋(リッパー)』。お前のか、勝ちだ。チャンピオンには賞品を進呈しねえ、とな。おい、ちょっと耳を貸してくれ。どうも今の俺には立って、話すだけの元気はないらしい」

腰をかがめるように手招きする。

「何故だ……」

切り裂き屋(リッパー)』は俺に言われたとおり、腰を折り曲げ、顔を近づける。
その苦渋に歪んだ顔に今できる精一杯の微笑を向けて言った。

「こうすれば、で、電磁的に盗み聞きされるし、心配はほとんどないだろ? 電磁波を感知できる能力者なら、お前が全力で暴れている場所に長居したがる奴なんていないはずだからな」
「電磁的な盗み聞きだって? 何を言っているんだ、『バネ足(スプリング・ヒールド)』。『山猫(リンクス)』なら死んだぞ」
「『山猫(リンクス)』? そうか、お前とあの化け猫と戦って勝ったのか。道理で強くなったと思ったぜ」

余計な事をもらしてしまったと顔をしかめる『切り裂き屋(リッパー)』。
くくく、相変わらず嘘の下手な男だ。
まあ、だからこそ誰よりも信頼に値する奴なんだけどな。

指を伸ばし、『切り裂き屋(リッパー)』の襟首を掴もうとした。
だが、失敗した。
軽やかだった腕が今は酷く重たい。
視界の点滅も酷くなっている。
どうやら、俺に残された時間はあまり長く無さそうだ。

「ミオは、お、お前たちが追いかけている殺人事件の容疑者は無実だ。裏で俺たちとあの子を嵌めた奴がいる。か、海外の人身売買組織だ。それだけじゃない。俺たちの中にも裏切り者が、俺たちの情報を流した奴が……」

くそ、眩暈と吐き気が酷い。
上手く言葉が思いつかないし、喋れない。
だが、途切れ途切れの言葉でも『切り裂き屋(リッパー)』は何とか俺の言いたい事を察してくれたようだ。

「俺たちに裏切り者だって? 電磁波を盗み聞きする能力と言えば……『公爵(デューク)』かっ! くそ、あの野郎。お前を捕まえに出かけると言った時、妙に嫌がっていたっけ。何故か俺と『華神(フローラ)』の前に直接顔を出さないから、怪しいと思っていたんだ!」
「ああ、『公爵(デューク)』ね。そ、そっか。あいつそんな偉そうな名前、をしていたのか……サンキュー、『切り裂き屋(リッパー)』……ようやくお。思い、出したぜ。これでもう思い残す事は……」
「馬鹿な事を言うな! 大人しくしていろ。」

切り裂き屋(リッパー)』は俺の肩を掴んで、持ち上げようとした。
だけど兄弟、お前そんなに力強くないだろ。
ほら、足を滑らせた。
二人とも転んだ。
頭の中に火花が散る。
だが、お陰で少しだけ意識がはっきりした。

もう一回腕を伸ばす。
指をあいつの襟首に引っ掛ける。
最後の力を振り絞って、自分の近くへ引き寄せた。

「お、俺は自分のやるべき事をやった……つ、次は、お前の番だ」
「『バネ足(スプリング・ヒールド)』……」

闇が俺を追いかけてくる。
いや、それとも俺が闇の中に降りているのか。
もうどっちだか良く分からない。

長い長い回り道の末に、この闇の中に戻ってきた様な気がする。
俺は結局、自分のなりたいものになる事はできなかった。
幼い頃に夢見た英雄になる事は終にできなかった。

今思えば、それも当たり前の話だ。
最初に俺が目標にしたのは本物英雄じゃなくて、びっくり箱のピエロだから。
道化は所詮、主人公になれない。
ささやかな笑いと涙を勝ち取って、最後には暗い箱の中に戻っていく。

でも、良い。
もうそれで良い。
半生を費やして、走って目指したあの場所に届かなかったとしても……

「頼んだぜ、英雄(ヒーロー)……あの子達を守ってくれ」

最後に、俺の手足はお前(ほんもの)に届く事ができたのだから。

さっきから点滅を繰り返している視界がもう九割方闇に包まれた。
残された一割の光の中で、俺は確かに見た。
あいつが、小さく頷くのを……。
よし、これで大丈夫だ。
もう何の悔いもない。

しかし、ふと思い出した……。
ああ、なんてこったぁ。
大事な事を忘れていたよ。


―――結局、『切り裂き屋(リッパー)』の奴に謝る事はできなかったな……


最後の最後にそんな事を思いながら、俺の意識は完全に闇の中に溶けていった。

 

 

 

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