EX=Gene

 

 「二年目の誕生日」

               ――Rebirth――

Act.12:「雷帝の轟き」

察しの良いイワンさんは私の言ったことをすぐに理解した。

「なるほど、つまり私達は皆、『アルゴス』という名前に惑わされていたのだな」
「はい。最初に見つかった爆弾。あれは私達への罠でした。敵はわざと『アルゴス』の情報を乗せた爆弾を見つけさせて、こちらに超感覚能力者がいるかどうか探ろうとしていた。しかし、そうとは知らずに与えられたパズルを解いた私達は『アルゴス』という大きな餌に主力をおびき出されてしまったのです。敵の本隊が自分達の背後に回り込んでいるとも知らずに……

全くなぜこんな事に気付かなかったのか。
『伝説の傭兵』がカモフラージュに過ぎないと考えれば『アルゴス』にまつわるエピソードはすべて説明が付く。

極めて広範囲な知識や技術は『アルゴス』が個人ではなくプロフェッショナルの集団である証拠。
『不死身』の二つ名は、自分の影武者を何人も持っていて、彼らを身代わりに生き延びたせいだろう。
複数の人間で請け負った仕事の内、成功したものだけを『アルゴス』の成果だと宣伝すれば成功率九割だって不可能じゃないはずだ。

しかもこの宣伝はただの誇張じゃない。
『伝説の傭兵』の名前が大きくなればなるほど、それは敵の目を逸らすためのカバーの効果を増して行く。
結果、実際の作戦達成率も跳ね上がり、その成功がまた新しい成功を呼び寄せる良循環を作り出す。

『アルゴス』本人が考えたかどうか分らないが、上手くできたシステムだ。
騙されたのが自分じゃなければもっと素直に関心していただろう。
だが、『アルゴス』のカモフラージュだけでは説明できない事が一つだけある。

それは刺客達がどうやって私達に気付かれずに屋敷の敷地内に侵入したかという事だ。
今日、この屋敷の回りには神経質を通り越して、偏執的なほど高度な警備装置が仕掛けられていた。
屋敷を囲む森には『フローラ』が自ら訓練した軍用犬の群れが何十匹もうろつき回っている。

仮に刺客側が何重もの警備装置を解除し、殺人犬達を音もなく片付けるほどの腕の持ち主だとしてもまだ『フローラ』本人が残っている。
鮫の数百倍に及ぶ彼女の嗅覚は、天気の良い日には数十キロ離れた場所にいる人間の敵意を嗅ぎ付ける。
『フローラ』がここを発ってからまだ一時間足らず、その間に全ての警戒網を突破して屋敷内に侵入するなんて絶対に無理だ。
その事を口に出すとイワンさんが熊みたいな唸り声を立てながら自分の額をビシャリと叩いた。

「すまん! それは私のミスだ。『フローラ』くんの叔父が初めてこの屋敷に来た時の事を覚えているかね?」
「ええ、『カロン』の事ですよね? 確かに怪我をしながら、屋敷に逃げ込んだと聞きました」
「実はこの屋敷は戦国時代の武将が建てた城の跡地に建てられたものなのだ。地下には城が落ちた時に備えて掘られた抜け道があって、重傷を負った『カロン』くんは偶然、そこを通ってここに逃げ込んだのだよ」
「なっ、何故、そんな危険なものを放って置いたんですか!?」

自分でもびっくりするほどの悲鳴が口が飛び出した。
今の話が本当だとするのなら、万全だと思っていたこの屋敷の警備はがら空きも同然だったという事になる。

「無論、『カロン』くんが使った抜け道はとっくに塞がれている。が、こう言った逃走経路には必ず予備の抜け道が二、三あるものだ。おそらく、『アルゴス』の仲間達はそれを見つけて屋敷の中に進入したのだろう。十八年前にセルゲイにこの屋敷の話をした事がこんな形で仇になろうとはな……
「そ、その抜け道を使って、私達が脱出することはできますか?」
「昔の抜け道を再び使えるようにするためにはダイナマイトが要る。刺客達が使った道の方は探して見なければわからん。どちらにしても、やつらが大人しく私達をこの屋敷から出してくれるとは思えんな」

やはり、刺客達の囲みを破らなければ話にならないようだ。
しかし、今この屋敷の中には何人の敵がいるんだろうか?
まずそれを探らない事には作戦の立てようがない。

『フローラ』は屋敷の警備のために護衛を十二人残していった。
彼らを全員、音も立てずに瞬殺したという事は敵の数は護衛と同じかそれ以上。
さらに『レインボー』の話によれば侵入者達は五人一組のチームに分れていたらしい。
さて、もし私が指揮官だったらこの屋敷を制圧するためにどうやって人数を配置するか……

まず表玄関とエレベーター、非常用階段を押さえるために五人。
裏口にある階段と搬送用エレベーターを制圧するのにもう五人。
これに直接攻撃に出る小隊を加えて計十五人……
いやっ、窓からの脱出に備えてもう一チーム、庭に配置しているはずだから、最低でも二十人の人間がこの屋敷を取り囲んでいると考えた方がいいだろう。

敵は火器で武装した二十人以上のプロフェッショナル。
対するこちらは、戦闘能力のない妹を計算に入れてもたったの三人。
しかも、武器は私が体内に隠した硬質樹脂のナイフだけで銃は一丁もないっ!

もしこちらが奇襲する側だったら、例え相手が百人、いや千人単位でも私は怯まなかっただろう。
敵の数が多ければ多いほど、私の能力は有利に働くのだ。
しかし、今回私は妹を守りながら、少数の精鋭を相手に不利で不慣れな防衛戦をしなくてはならない。
正面から戦えば敗北は必至、戦況はあまりに厳しかった。

「イワンさん、ここにいては危険です! 急いで屋上へ行きましょう!」
「ほう、何故?」
「家具でバリケードを作って、屋上に立てこもります。そうすれば、敵の侵入路を一つに絞れるし、窓から奇襲を受けることも避けられます。『フローラ』が帰ってくるまで持ちこたえれば、私達の勝ちです!」

『フローラ』が出て行ってから、もうすぐ一時間が経つ。
定時連絡がない事に気付くタイムロスも計算に入れれば、戻って来るのにも大体同じぐらいの時間がかかる。
ただし、これは『フローラ』が何事もなく真っ直ぐ帰ってきた場合の話。
敵が何か妨害工作(例えば高速道路に何かトラップを仕掛けて意図的に渋滞を起こすとか)を施していた時はさらに時間が食うはずだ。

数で圧倒的に勝る相手に一時間以上籠城戦をするのは非常にきつい。
一刻も早く行動を起こさなければ、迎撃の準備が整わない内に包囲殲滅されてしまう。
しかし、慌てて駆け出そうとする私の手首をイワンが掴んで軽く捻った。

途端に足腰がスイッチを切られたみたいに力を失う。
またしても、イワンさんの不思議な体術だ。
本日三度目の体験になるけど、今回は関心している暇はない。
私は焦って振り返り、

「何をするんですか!?」
「慌ててはいかん。焦りは戦士に取って一番大事な冷静さを奪う。良いかね。奴らの目的は私達の暗殺であって、拠点の確保ではないのだよ。だから、屋敷を壊す事にも躊躇しない。屋上に退避したとしても爆薬で足場を崩されたらお終いだ。数で劣る戦に置いて自分から袋小路に飛び込むのは得策ではない」

私は返答に詰まった。
確かにイワンさんの言う事には一理ある。
しかし、このままぐずぐずしていても包囲される事に変わりはない。

何かすぐに行動を起こさなければならない。
でも、何をしたら良いのか分らない。
焦燥感はつのる一方だった。
私とは対照的にイワンさんは憎たらしいほど落ち着き払っていた。
目をすがめながら何かの音に耳を澄ませる。

―――それに、どうも戦況は君が思っているほど私達に不利じゃないようだ。気付いてるかね? 奴らが屋敷の中に侵入してからかなりの時間が経つがまだこの階にやって来る気配がない」
「そういえば確かに静か過ぎるような気もします。下で争っているような物音も全然聞こえません……
「これは私の推測だが、恐らく敵はホテルの支配人を確保する事に失敗したのかもしれん。私がこの部屋に泊まっている事を知っているのは彼だけだ。敵はやもなく勢力を分散してターゲットを探しているんだろう。もちろん、『レインボー』君のおかげで私達がとっくに突入に気付いている事も知らずにな。ここに私達の大きなアドバンテージがある」

「はあ?」と煮え切らない返事を返す。
正直、イワンさんが何を言っているのかよく分からなかった。
これから、私達は何をすればいいのか。
彼の言うアドバンテージをどうやって活かすのか。
特に、この窮地にあってイワンさんが何故こんなに活き活きと目を輝かせているのかさっぱり分からない!

頭の中をクエスチョンマークで満たした私に背中を向け、イワンさんは何かを捜すように部屋の中を歩き回る。
木製の衣装がけを手に取り、バランスを確かめるみたいに手の中で何度か回した。

「『オーロラ』くん、君は優秀だが、今までゲリラ戦しか経験がないせいか、少々戦術に柔軟さが欠けているようだ。だから、『アルゴス』のように思考の裏をかいてくる敵には弱い。ああいった相手に正攻法で挑めば、散々振り回されて深みに嵌るばかりだ。奴らに勝つためには、敵の作戦の裏の裏かかなければいかん!」

頑丈なヒノキ製の衣装がけがウェハースみたいに真っ二つに折れる。
自分で作った即席の槍を満足そうに眺めるイワンさん。
私はようやく、彼が何を言っているのか理解し始めた。

「イワンさん、貴方まさか……
「そうとも、篭城戦などする必要はない。こちらからうって出て敵を各個撃破するのだよっ!


*  *  *


一部の人間達に『蝶の城』と呼ばれる高級旅館の三階。
無愛想な扉が墓標のように並ぶ長い廊下の左右にダークスーツの男達が現れた。
エレベーターホールから二人、裏の非常階段から三人。
喪服を思わせる黒装束に身を包んだ傭兵達は獲物を追い詰める狩人の足取りで絨毯の上を歩く。

二つのグループがそれぞれ手近にある扉に近づいた。
男達がひらめき、手品みたいにその手の中に磁気カードが現れる。
敵の居場所を特定できなかった彼らはこのホテルの部屋をしらみつぶしにするつもりだった。

だが、取り出した偽造カードキーを慎重に扉に押し当てた瞬間、ドアノブの回る音が突然廊下に木霊する。
素人の窃盗団なら大慌てする場面だが、黒服の男達はどこまで冷静だった。
軍人特有の規則正しい動きで扉が開きかけた部屋(『365-B』号室)の出口を包囲する。

彼の目の前でヒノキ作りの重厚な扉がゆっくりと開く。
その巨躯で空気を押し分けながら部屋の主が姿を現した。
大男揃いの黒服達よりもさらに一回りの背の高い老人は周囲を見渡すと、

「さっきからフロントに電話が通じないのだが、これは一体何の騒ぎだね?」
前に進み出た黒服の一人が言った。「ミスターイワン。先ほど数名の不審者がこの屋敷に侵入して、通信設備を破壊しました。しかし、ご心配には及びません。件の賊は私達が速やかに処分―――

「速やかに」という部分で背後に控えていた男達が銃を抜いた。
「処分」と口にした瞬間に前に出ていた男も武器を構えた。
そして、言葉が尽きると同時に全員が発砲した。

十字砲火の陣形から放たれた銃弾はさながら死の投網。
目も眩む圧倒的なマズルファイヤー。
霧みたい濃厚なガンスモークが辺りを包み込む。
老人の体は見る間に弾痕に覆われ、純白のシルクのシャツが体液に黒く染まる。

最初に老人に話しかけたリーダー格の男が手を止めた。
長年、戦場を渡り歩く内に培った勘が彼に「おかしい」と囁いている。
だが、一体何がおかしいと言うのか?
注意深く標的を観察した男は息を呑んだ。

そうだ、匂いだ。
老人の体は真っ黒に染まっているのに血の匂いがほとんどしない!
それどころか、体重900kgの雄牛をも即死させる45ACP弾や44マグナム弾を何十発も受けているのに倒れる様子すらない!

男達の驚愕を察したように老人が頭を庇っていた腕を下ろした。
その腕に付いた弾痕がまるで生き物の口のように潰れた弾丸を吐き出す。
口髭に隠れた唇に浮かぶ凶暴そうな笑顔。

「痛いじゃないか。急に何をするんだね?」

一瞬、男達は言葉を失った。
その時を狙い澄ましたように廊下の右側にある三部屋続きのスィートルームの一室、『365-A』の扉が大きな音を立てて開く。
とっさに訓練で刷り込まれた反応に従って黒服達は『365-A』に発砲。
高価な木材でできた扉がたちまち蜂の巣になり、部屋の中から少女の甲高い悲鳴が飛び出す。

子供が、何故こんなところにっ!?
ありえない事態の連続に黒服達の思考がコンマ五秒ほどの隙を生み出したその時―――


発砲音に紛れて左端にある『365-C』の扉が開く。
部屋の中から衣装がけで作った槍を構えた巨人が野獣のような素早さと静けさで黒服達の背後に忍び寄った。 


*  *  *


この世で私が一番好きなのは家族の笑顔。
そして、その次に好きなものは―――

恐怖に歪んだ敵の顔っ!

今、五人の男達が全身に銃弾を浴びた私を見つめている。
タフな顔が始めてホラー映画を目にした子供みたいに歪んでいた。

雷鳴のように耳の奥に響く鼓動。
稲妻のように血管を駆け巡る興奮と力。
私が生まれ変わった嵐の夜、始めて人を傷つけた記憶が何度もフラッシュバックする。
吐き出した息は湯気を吹きそうなほど熱かった。

左手の三人はイワンさんが相手してくれる。
だから、右手にいる二人が私の獲物だ。
イワンさんの『外装』を纏いながら男達に笑いかける。

私が一年かけて作り上げたよそ行きの顔が意識の海の底に沈んで行く。
代わりに懐かしいモノがほの暗い闇の中から浮かび上がった。

今の私は『オーロラ』じゃない。
独裁者の狂気が生み出した副産物。
引き裂かれた少女の心から滑り出た悪夢。
無名無貌の怪物。

―――
『フェイスレス』だ。

 

 

 

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