EX=Gene

 

第一話 「切り裂き屋の憂鬱な日曜日」

         ――A happy happy Holiday――

              Act.6



―――
しまった!!

と思った時はもう遅かった。

俺の身体は脊髄反射の命ずるまま振り返り、体内に溜め込んだパワーを山猫が潜んでいると思しき方向へ解き放った!
緊張感が限界を超えて脳のどこかがぶち切れたのか、俺は次に続く一瞬の出来事をまるでスローモーションの映像のようにはっきりと見て取る事が出来た。

蒼紫色の光の線が俺と50m程先にあった柱を繋ぐ。

大出力の電磁波が大気に漂う分子を焼き切って進んだ証。

光が直撃した部分がまるで小石を泥の中に落としたみたいに大きく凹んだ。

鉄筋コンクリート製の柱が瞬時に溶解、灼熱の飛沫を噴出しながら、周囲に波紋を走らせる。

波紋は遠く広がるにしたがって蜘蛛の巣状の皹に変わり、気化した内部のせいで柱の直径が瞬時に何倍にも膨れ上がった!

その様子はまるで電子レンジの中に入れた餅の様、そして極限まで膨れ上がった餅が次にする事といえば―――

間一髪!!

俺が身を翻すのとほぼ同時にコンクリートの柱が大爆発を起こした。
鼻がおかしくなりそうな刺激臭。
耳がおかしくなりそうな轟音。
そして、暗闇に慣れた目にはきつ過ぎる光が俺に襲い掛かる。
吹き付ける土砂交じりの爆風のせいで、身体はヤスリにかけられたように痛み、近くにある柱の後ろに隠れるのが一瞬遅れたせいで袖口は飛んできた破片でずたずたに引き裂かれた。

満身創痍の酷い有様だった。
だが、俺は何とか生きていた。

大声で毒づこうとして刺激臭を吸い込み、咳き込んだ後に毒づこうとしてまた熱い粉塵を吸い込んでしまった。
くそっ!ちきしょう!こんちきしょうめっ!!
山猫(リンクス)』の野郎、一体何時この地下駐車場に入り込んだ!?

聴覚はまだ耳鳴りが酷くて使い物にならなかったが、ちかちかしていた視覚は次第に回復し始めていた。
周りの様子が少しずつ見えるようになると、俺は淡い期待を抱きながら恐る恐る柱の影から顔を覗かせた。

どうか、『山猫(リンクス)』が今の攻撃でくたばっていますように!!

俺の攻撃が直撃した柱は基部を残して丸ごと消えていた。
真赤に溶けたコンクリートが沸騰しながら基部の頂点から流れ落ちる。
飴のように捻じ曲がった鉄骨が白熱した光を周囲に投げかけていた。

中々壮絶な光景だったが、俺が見たいのはこんな物じゃなかった。
どんなに血眼になって探しても『山猫(リンクス)』の死体はどこにも見当たらなかった。
そして―――

「ははははぁ、こりゃすげえ! 聞きしに勝る破壊力だな! 後少し逃げるのが遅かったら、ちょっと危なかったぜ!」

俺の最後の希望をねじ伏せるように『山猫(リンクス)』の笑い声が駐車場に響いた。
爆音のせいでまだ少し遠い聴覚に限界まで集中力を注ぎ込む。
木霊する笑い声の残響から必死に奴の居場所を割り出そうとした。

どこだ?
奴はどこにいる?
もしかして前か? 
いやいや後ろか? 
まさか右か? 
それとも左か?

だが、『山猫(リンクス)』の声はその何れでもない方向から響いてきた。

「いくら、耳を済ませても無駄だぜ、『切り裂き屋(リッパー)』。今俺が使っているのは『木霊法』って言ってな。昔、忍び武者達が戦場で居場所を悟られずに、連絡を取り合うために発明した発音法、つまりは忍術って奴さ」

もし、普段耳にしたのなら、俺は『山猫(リンクス)』の台詞を一笑に伏しただろう。
だが、今俺は笑うどころか、今にも泣き出したい衝動に襲われていた。
山猫(リンクス)』の声は正にあらゆる方向から響いてくるように聞こえた。
多分、鈴虫の鳴声なんかと同じ原理の技術なのだろうが、いくら原理が分かっていても相手の居場所が分からないんじゃしょうがない。

溶けたコンクリートが放つ中途半端な光のせいで、周囲の闇は一層深く蟠る。
山猫(リンクス)』はどこにでも潜んでいるように思われた。

滅茶苦茶に能力を打ちまくりたいと言う衝動を辛うじて抑え込んだ。
落ち着け!
落ち着くんだ!
地下(ここ)で能力を乱射したら、こんな欠陥建築物一瞬で潰れるぞ!

山猫を道連れにできるのなら、それも悪くないかもしれない。
しかし、まだ奴の能力も、ここに侵入した経路も分かっていない。
このままじゃ、奴は逃げ延びて圧死するのは俺だけという事も十分にあり得る!

それだけは絶対に嫌だった。
だから、考えろ!
記憶を掘り起こせ!
何か、奴の能力に関する手掛かりが、俺の反撃に繋がる糸口が必ずどこかにあるはずなんだ!

ああ、それにしても痛いなぁ。
熱風のヤスリで削られた肌がまるで焼けるようだ。
同時に肌の下を無数の蟲が這いまわっているような耐えがたい痒みも感じる。
皮膚についた擦り傷が猛スピードで治っている証拠なんだが、この痛みと痒みのせいで上手く考え事に集中できな……

―――いや、待てよ!!

痛みと言えばさっきの山猫の台詞、俺と同じように熱風で炙られたのならあんな元気そうな声は出せないはずだ。
EX=Sensitiveは俺達能力者の中で一番感覚が鋭いが、代わりに回復能力と耐久力は最低クラスだからな。

恐らく……。
奴は避けたんだ。
この世で一番早い光と同じ速度で飛ぶ俺の攻撃を。
攻撃を放った俺自身さえ避けきれなかったその余波までも完璧に。
どうしたらそんな芸当ができる?

決まっている、自分の能力を使ったんだ。
だが、如何なる能力がこんな離れ業を可能にするんだ?

嗅覚じゃ無理だ。それはわかっている。
聴覚でも俺の攻撃を避けきる事は不可能だろう。
電磁波は音よりも遥かに速い。
同じような理由で触覚、味覚も駄目だろう。
とすると、『山猫(リンクス)』の能力と言うのはっ!!

「……そろそろ気付いてる頃だと思うが、俺の能力は目だ!」

謎解きの回答に近づいたと言う喜びを『山猫(リンクス)』の一言があっさり打ち砕いた。
奴め、俺に一変の希望も与えないつもりかっ!?
それとも、俺如きに能力のタネを明かしても問題にならないと思っているのか?

「俺の視覚はあらゆる電磁波を捉える事ができる。赤外線や紫外線、お前のお得意のマイクロウェーブに至るまでなんでもだ! 暗視スコープや赤外線カメラにもなるし、ちょっと倍率をいじれば電子顕微鏡の真似事だってできるぜ! なあ『切り裂き屋(リッパー)』、俺が何を言いたいのかもう分かってきただろ?」

バケツ一杯の氷水を頭から被せられたような気がした。
俺には奴の言いたい事が良く分かった。

俺は自分に有利な戦場を求めてこの地下駐車場へやって来た。
しかし、奴の言う事が正しいのならそれは大きな間違いだったと言う事になる!
ここには奴が自由に動き回れる空間があるし、俺の攻撃から身を隠すための遮蔽物もある。
何よりも―――

「ケツの穴が良い感じに締まってきたな。おお、可愛い金玉が縮こまってるぜ。どうだ、お前には俺が見えるか? 俺にはお前がよぉぉぉくぅ見えるぞ!!

闇の中から粘つくような熱い視線を感じる!
お、恐ろしい!
恐ろしすぎるっ!!
頼むから教えてくれ、阿弥陀如来様!
ホモの殺し屋からセクハラを受ける羽目になるなんて、俺は一体前世でどんな悪行を積んだんだ!?

ああ、しかし慌てるな!
ここで焦ったら奴の思う壺だ!

目が利かないのは仕方がない。
足音が聞こえないのも諦めよう。
五感が当てにならないのなら、それ以外の感覚を頼れば良いんだ!
そうだ! 都合よく目覚めろ、俺のシックスセンス!
目を瞑りながら、適当に当たりをつけた。
よし、前だ!

―――後ろから攻撃が来た。

「ぐぅがぁっ!!」

殴りつけられたような衝撃にバランスを崩し、柱に思いっきり顔をぶつけた。
口一杯に金臭い味が広がり、瞼の裏でお星様が乱舞する。

だが、この攻撃のお陰で相手のいる方向だけは分かった!
ぼろぼろになったコートの裾を翻しながら振り返る。
背後目掛けて、紫電の光を―――

―――放つ前に次の攻撃が襲ってきた!
肩と肘、それぞれに一発ずつ、痛みが神経を走り脳天に突き刺さる!

な、何!
音も立てずに一瞬にして俺の背後から側面に回りこんだのか!
足音を殺しているくせに、なんてスピードだ!
いや、それよりも不味い!

今の攻撃のせいで肩から先の感覚が完璧に消失した。
俺の右腕が必殺の電力を溜めたまま、足元を向いてだらりと垂れ下がる。

発射寸前の攻撃力を必死に押し留めた!
9割の成功、しかし1割の失敗。
止めきれなかった1割分の力が掌から漏れ出した。
直後、足元のコンクリートが地雷のように炸裂!

爆風が俺の身体を吹き飛ばし、コンクリートの破片がざくざく突き刺さった。
床に叩き付けられた後、慌てて指で大きな破片を抉り出した。
喉の奥から獣じみた悲鳴が漏れる。
だが、こうしないと傷口が破片を飲み込んだまま塞がって、後でもっと痛い思いをしながら破片を抉り出さなければならなくなる。

もう本気で泣きそうだった。
と言うか、既にぽろぽろ泣いていた。

そんな俺の泣きっ面にさらにスズメバチの巣をぶつけるように、『山猫(リンクス)』の笑い声が覆い被さってくる。

「はぁはははははっ! 良い様だな、『切り裂き屋(リッパー)』! ついでに今までお前を痛めつけてきた俺の攻撃についても種明かしをしてやろうか? 知っているか、人間の体というのは、機械的な部品集まりじゃなくて、川や大気の流れに近いものだそうだ。そして川の支流が交わるように、大気の流れが風溜まりを作るように体中の経絡が交わる点が存在する。俗に言うツボって奴だ。普通は触診などで居場所を探るもんだが……この俺にはそのツボの在り処がはっきりと見える!」

もう一回背中に来た!
今度の衝撃はあまりなかったが、痛みが凄まじかった。
まるで背中に極太の針を差し込まれ、そこから電撃を流し込まれたような激痛!
地面に伏せっていた体がバネ仕掛けの玩具のように跳ね上がった!

その時、俺はようやく今まで自分を弄ってきた兇器の正体に気が着いた。
長さ5cm足らずの涙滴の形をした樹脂の塊が床に転がっていた。
多分、東洋医学で点穴に使う器具を飛び道具に仕立てたもの。
こんな小さなものが、あんなにも凄まじい痛みを俺に与えたのか!

「―――つまりぃ、このツボを適度に刺激する事によって俺はっ!!」

だが、驚愕を味わう暇もなく、次の攻撃が俺を襲う!
しかも、今度は複数の個所を狙ってきた!
脇腹、上腕、肩、それに肘!!

「何時でも!」

鳩尾、両あばら、腋の下、心臓、鎖骨、咽頭!!

な、なんて奴だ!
止まっている的ならともかく、動き回っている人間の、それも字どおり針の穴のような経穴に立て続けに攻撃を命中させるなんて!


「何処でも!」

手首、肘、足の甲、足首、膝、すね、股間!!

肺の中はもう空っぽだ。悲鳴を上げるための酸素も残っていない。
それでも執拗に繰り返される攻撃、痛みの上に重ねられる痛み……

誰にでも!!!

顎、多分こめかみ、おそらくあご、のどぶえ、みけん……

――駄目だ! も、もう
――もう、いたすぎて、どこをうたれてるのかも、わ、から、な、

「最高ぉの痛みを与えられるってわけさ……」


……
……
……
……


……不意に俺は目を覚ました。

そしてすぐに目を覚ました事を後悔した。

覚醒すると同時に流れ込む痛みの量に脳がまたすぐにショートしかかった。
体がまるで痛みの詰まった水袋なったみたいだ。
息をする度に灼熱の酸が神経の上を流れる。
痛みに耐え切れずにすすり泣きのような呻き声を漏らせば、それが痛くてまた悲鳴が上がる。

まさに、地獄ってそのものだ。
しかし、泣いてばかりもいられなかった。

顔の近くで何か音がした。
激痛で茹った俺の頭は一度に三つの事しか考えられなかった。

即ち、
イチ、今聞こえているのは俺の携帯の着信音だと言う事。
ニイ、その着信音が鳴っているのは誰かが電話をかけてきたからだと言う事。
サン、そしてその誰かってのは十中八九、『山猫(リンクス)』だって事だ……

ばらばらになりそうな苦しみに耐えながら、仰向けに倒れていた身体を――そう、今気付いたんだが、俺は仰向けに倒れながら気絶していたらしい――ひっくり返した。

その途端、跳び上がりそうになった!
山猫が俺を痛めつけるのに使っていた合成樹脂製の弾丸。
俺の周りに大量に散らばっていたそれが痛風病みのように敏感になっていた俺の身体を刺激したのだ。

くそ、人をこんなに打ちまくりやがって!
俺は射的の的じゃないんだぞ!

そう心の中で毒づいても電話を取らないわけにはいかなかった。
電話を取らなかったら、またあの苦痛を味わう羽目になるかもしれない。
その事を考えるだけで小便が漏れそうになる。

針の山の上を匍匐前進するような苦闘の末にようやく電話にたどり着いた。
今だ鳴り止まない携帯を耳に押し当て、通話ボタンを押す。

「よう、『切り裂き屋(リッパー)』! 元気か?」

山猫(リンクス)』の野郎、平然と話し掛けてきやがった。
こっちは痛くてまともに喋る事さえもできないってのに……

「おう、うがぅ、あっ!」
「ああ、分かった。分かった。お前が元気そうで何よりだよ。ちょっとやり過ぎたんじゃないかって、心配してた所だ。こっから先は携帯で話をさせてもらうぜ。『木霊法』は便利な術だけど、長話には向いてないからな。さぁて、寝起きで頭がすっきりした所で、いい加減教えてくれよ。『切り裂き屋(リッパー)

……お前の相棒は誰なんだ?

山猫(リンクス)』の声音が突然氷点下まで下がった。
俺の背筋も一瞬で凍りついた。

今まで起きた出来事がドミノ倒しのように繋がっていく。
その結果、浮かび上がった図案が『山猫(リンクス)』の本当の意図と目的をはっきりと俺に教えてくれた。

「んんっ? 返事がないなぁ。俺の話が聞こえなかったのか?」
「い、いや、しかし何の事か……」
「おいおい、この後に及んでお惚けはなしだぜ。まだ少し寝ぼけてるのか? だったら3秒だけ時間をやろう。それでまだ眠気が取れないって言うのなら俺からきつぅーい眠気覚ましをプレゼントしてやるわ」

どうする?
さあ、どうする俺?

「いぃぃぃちぃぃぃ……」

山猫(リンクス)』がわざとらしく引き伸ばした声でカウントダウンを始めた。
相棒を、『華神(フローラ)』を裏切ると言う選択肢は物理法則が裏返ってもあり得ない。
し、しかし、もう一度あの苦痛を受けたら、俺の肉体は死なないかもしれないが、精神は……

「にいいいいぃぃぃぃ……」

ああ、もう時間がない。
何も名案が浮ばないまま、周囲に視線を彷徨わせた。
頭の天辺から自分でも驚くほど大量の汗が流れ落ちる。
喉の奥からごろごろと耳障りな音が漏れて……

と、突然俺の呼吸が止まった。

「よし、これが最後だ。さああ……」
「ま、待った! 待ってくれ!!」
「……おっとっ! 待ってくれって、何を待つんだ?」

止めていた呼吸を再開する。
深く息を吸い込み、深呼吸三回。
最後に胸一杯の息と共に言葉を搾り出した。

「わ、わかった。『山猫(リンクス)』、お前の勝ちだ。あんたの言う通り、俺が、いや俺達が『百目(アルゴス)』を殺したんだ。相棒の事も教える。だから、もう……」
「よし、よぉぉぉぉしよしよしよしよし……人間はやっぱり素直が一番だよな。じゃ、ちゃっちゃと教えてくれや。誰があいつを嵌めた?

瞼を開き、瞼を閉じる。
目の中に入った汗と涙を搾り出した。

「俺の……」

振るえる指、それをこじ開けるように右手に持っていた携帯を左手に持ち帰る。

「相棒は……」

体中が始めて口付けを覚えた時のように熱っぽく痺れている。
緊張にわななく唇で辛うじて言葉を搾り出す。



「……男だ!」



脳裏に浮ぶのは一つの疑問。
果たして、こんな事がありうるのか、と……。

「男? どんな男だ?」

山猫(リンクス)』が訝しげな声で聞き返してきた。
俺は猛烈な勢いで頭を働かせながら、返事を返した。

「ああ、白人の男だ。身長はかなり高い、188cm、いや190cm届いていたかもしれない。年は50代の後半か、60代の始め。髪の毛は真っ白だが、肌の艶は異常に良い。スーツは白や灰色のものを好んで着る」

もう一度、自分の中で問い掛けてみる。
果たして、こんな事がありうるのか?

「聞いた事もないな、そんな能力者は……。おい、外見的な特徴はもう良いから、名前を教えろ」
「名前はわからない。あ、いや嘘じゃない! 一度も教えてくれなかったんだ! 俺はいつも『彼』とか、『あの人』と言った感じに代名詞を使って呼んでいた」

答えはすぐに返って来た。
ああ、あり得るとも!
山猫(リンクス)』が自分で言っていたじゃないか。
奴の目は暗視カメラやの代わりになるって。
恐らく、奴にとってこの地下駐車場は真昼のように明るく見えているはずだ。
だから、十分あり得るのだ……。

「それじゃあ、連絡を取る時とか不便じゃないのか? いつもどうやって連絡を取っていたんだ?」
「連絡は特定のエージェントを介して取っていた。今までずっと彼の方から一方的に依頼を受けるだけだったが、緊急時には俺の方から連絡を取っても良いと言われている。俺だけがエージェントと連絡する事ができる……」

山猫(リンクス)』の使っている携帯の液晶から漏れる光がうっすらと俺にも見えると言う事が……

「だからそのエージェントと接触するため、ここから出してくれって言いたいのか? そりゃ、お前ちょっと欲張りすぎじゃないのか? 別にお前を使わなくたって、方法はいくらでもあるぞ。例えば、他人に化ける能力者……『極光(オーロラ)』とかにお前に化けてもらって、そのエージェントとやらに連絡を取らせるって手もあるぞ」

はははっ、俺に不利な事実を並べて、こっちを焦らせて言う魂胆だろうが、その手には乗るか!
山猫(リンクス)』は知らないだろうが、俺が奴に付け狙われる原因となった事件で依頼人の影武者を勤めたのが当の『極光(オーロラ)』なんだ。
事件の後で、あいつは何故か依頼人の爺さん酷く気に入られたようで、今は妹と一緒に爺さんの奢りで海外旅行に行っていて、後1ヶ月は戻ってこない!

「それは無理だな。俺と『彼』のエージェントが接触するためには符丁が必要なんだ。大出力のマイクロウェーブを使った俺にしか出来ない奴だ。一回でも失敗すれば、『彼』は俺に繋がるルートを全て断ち切ると言っていた」
「……おう、『切り裂き屋(リッパー)』お前まさか俺と交渉してるつもりじゃないだろうな? 自分の立場を忘れてるんだったら、もう一度体に教え込んでやろうか?」

物凄い迫力の篭った声だった。
思わずごめんなさい、と全力で謝りそうになった。
しかし、ここで下手に出たら、今までついた嘘が全部無駄になる。

「お。俺の言う事が信じられないと言うのなら、それで良い。俺を信じなかったせいで、あんたが恋人の仇が討てなかったとしてもそれは俺の責任じゃないからな」
「貴様ぁ、良い根性してるじゃねえか。さっきまで痛くてひいひい泣き叫んでたくせによ……」


爆発しそうな程の恐怖を押し殺しながら、ちらりちらりと俺から見て左側、ちょうど30m程先にある柱に視線を向ける。
山猫(リンクス)』の携帯と思しき光はその柱の影から漏れ出していた。
少しずつ、少しずつ自由になった右手に電力を溜める。
そんなに時間はかからない。
大きすぎる破壊力も必要ない。
人間を一人殺す、たったそれだけの威力があれば十分なのだ。

五つを数えるほどの間沈黙した後、溜息と共に『山猫(リンクス)』がついに折れた。

「ま、お前の言う事にも一理はあるな。少し考えさせてくれ。その間に、馬鹿な事を考えるなよ」
「ああ、分かってるさ。ただし……」

肺が破裂しそうな程大量の空気を吸い込み、覚悟を決めて、

その続きは地獄でやれ!!

右手に溜めた破壊力を解き放った!

俺の手から放たれた破壊の波は大気中の分子を滅茶苦茶にかき回しながら直進。
光が漏れていた柱に命中してその中心よりやや下の部分、日本人の成人男性ならば胸か腰があるはずの場所を爆散させた。

両腕で頭を庇い、埃だらけの床に顔を押し付けて、降り注ぐ熱いコンクリートの破片から身を守った。
爆発が収まると、俺は破片のせいで負った火傷の痛みも忘れて跳びあがるように立ち上がり、自分が壊した柱の方へと駆け出した。
興奮のあまり足をもつれさせる事二回、地面に散らばっていた樹脂の弾丸のせいで転びそうになる事三回、実際に転んだのが一回。
ようやく目的の場所にたどり着き、期待に胸を躍らせながら、柱の後ろに回り込んで、

「なっ……」

そして、絶句した。

「ないっ!!!」

山猫(リンクス)』の死体が!
どこにも!!

代わりに電磁波で使い物にならなくなった携帯電話が一つ、ガムテープで柱の胴体に貼り付けられていた。
まさか、これが俺の見ていた光の元なのか!?
そ、それじゃ……

今日一日で嫌になるほど味わい、しかし決して慣れる事のない痛みが俺の足を貫く。
あっけなく霧散する腰から下の感覚。
俺の体はまたも汚れた床に叩き付けられた。

「はははは、ああっははははは、あひゃひゃひゃひゃ!!! どうだ、『切り裂き屋(リッパー)』! 良い夢が見れたか? いやあ、ここまで綺麗に引っ掛かるとは思わなかったぜ! ほんと仕掛け人冥利に尽きるってのはこの事だな!」

勝ち誇った『山猫(リンクス)』の声が四方から押し寄せる。
俺は地面に伏せったまま、指一本動かす事が出来ない。

「ひひひひ……黙ってたんだが、実は俺の目は嘘発見器の代わりも出来てな。お前の考えてる事は最初から筒抜けだったんだよ。ひゃひゃひゃ!」

そうか、忘れていた。
山猫(リンクス)』に限らず、EX=Sensitiveはほぼ全員人の心を読む力を持っているんだったな。
だが、今後悔しても遅すぎる。
だいたい後悔するような時間も余裕もないのだ。

「これで文字通り身に染みただろう。抵抗しても無駄だって事がさあ。だから、い・い・加・減・素直になれや。なあ?」

俺は返事をしなかった。
地面伏せながら、埃っぽい床の空気を吸い込むのに大忙しだったからだ。
これか?
これなのか、『華神(フローラ)』!?

「おいおいだんまりかよ。拗ねちまったのか。しょうがねえな。じゃあ、俺が少し口を滑りやすくしてやろうか?」

ざくざく背中に突き刺さる痛み。
だが、不思議とあまり気にならなかった。
希望があるのとないとではこうも心の持ち様に差が出るものなのか。
さっきまで絶望と恐怖で凍結していた頭が急に回りだし、今まで気付かなかった事実まで見えてきた。

「と、今度は発電細胞(セル)を起動させたな。止めとけって。俺が『百目(アルゴス)』の相棒だった事を忘れてるんじゃないのか? 電磁波での奇襲は通用しないぞ」

またしても猛烈な痛みが俺を鞭打つ。
あんまり痛くて、内臓が口から毀れるかと思った。
実際に酸っぱい胃液が少なからず口から漏れたが、俺は『山猫(リンクス)』の言葉の中に僅かに含まれていた焦りを聞き逃さなかった。

思えば兆候は何度もあったのだ。

一回目、初めて発電細胞を起動させた時、奴はツボを狙わずに俺の指の爪を撃った!

二回目、俺が全力で発電細胞を起動させ、能力を乱射しかけた後、あいつはしばらく俺に話し掛けようとしなかったし、攻撃もしてこなかった!

そして三回目、この地下駐車場に侵入した後、奴は真っ先に何をした? 不意討ちするには絶好のチャンスを捨て、俺を挑発してまず無駄撃ちをさせて体の中に溜まった電力を浪費させたじゃないか!!

結論!
さっきの俺の考えは間違っていなかった。
山猫(リンクス)』の弱点は見え過ぎる事!

そして―――

「……なんだよ。本当に切れちまったのかよ。こりゃ、ちょっとやりすぎちまったな」

突然、『山猫(リンクス)』からの攻撃が止んだ。
予想通り(ビンゴー) !!
俺が本格的に発電細胞を起動させれば、その副産物として発散される電磁波のせいで、奴は俺の心を読む事も、ツボに対してピンポイント攻撃を食わせる事も出来なくなる!!

「しょうがねえな。お前と遊ぶのは結構楽しかったが、正直ちょっと飽きてきたわ。これ以上その能力を撃たれたら、この建物もやべえし……ここでその腕貰うぜ!」

覚悟を決めた気配がする。
ついに『山猫(リンクス)』が遊びを捨てて、本気で(ネズミ)を仕留めにかかったんだ。

だが、遅い!!!

俺は既に大気の中に潜む一筋の金の糸の如き香りを見つけ出し、それを手繰り寄せる事に成功していた。
普通の人間の嗅覚ではかぎ分けられるかどうかさえ怪しいほんの僅かな香気。
だが、俺がそれを間違えることは決してあり得ない!
その香りをかぎ分けるだけために何週間も『華神(フローラ)』の元で修行して来たのだからな!

回復したばかりの足で大地を踏み、咆哮と共に上半身を起こした。
あまり強引に身体を動かしたせいで、まだ体に残るダメージが骨と肉が引き剥がされるような激痛を俺に与えた。
それを押し殺し、右手を槍の如く前方へ突き出し、


―――そして、だらり下げていた左手で後ろの柱を撃った!!


主力50%、この狭く今にも崩れそうな空間の中で使えるギリギリの破壊力。
空間を走る紫電。
爆発散華する鉄筋コンクリート。
吹き飛ばされ爆風と破片でずたずたに引き裂かれる俺の体。
ここまではこの地下駐車場で最初に撃った一発と同じだった。
しかし、最初の一発とは大きく違う点が一つあった。

地下に響く悲鳴はもう俺一人のものではなかった。
砕け散る柱の影から、もう一人、熱風に焼かれ、破片に身体を切り裂かれた人影が飛び出した。
体から吹き上がる蒼い炎は身に着けた電化製品が電磁波でショートしたからに違いない。

先に覚悟を決めて近くにあった柱の後ろに飛び込んだ分、こっちの方がダメージは少ない!
俺は半ば四つんばで這いながら、もう一人の方へ駆け寄った。

地面にぶつかった衝撃で何かが人影の手を離れ、俺の方へ床を滑ってくる。
それを見た瞬間、俺は今まで自分を痛めつけてきた武器の正体を悟った。
礫を飛ばす弾弓と呼ばれる中国の暗器。
武器を手放した事に気付いた人影が、弾弓に飛びついた。
だが、その指先が届く前に俺のマイクロウェーブが奴の得物を撫でる。
人影は悪態を着きながら、溶けた合成樹脂の飛沫から身を離した。

俺達は無言で見詰め合った。
人影は男だった。
ドレッドヘアを背中に垂らし、プロレスラーみたいな筋肉をしていた。
大出力の電磁波から視力を守るためか、瞳はまるで猫科の動物のようにくびれていた。

しばらくの間、鉄筋コンクリートの煮え滾る音と俺達の荒い呼吸以外、何一つ音がしなかった。
そして、少し呼吸が整い始めた後、俺は自分から沈黙を破った。

「やあ、ようやく会えたな、『山猫(リンクス)』!!」



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あとがきのやうなもの


 「ワハハハ、ライオン仮面、もはや、のがれることはできんぞ!」


byくらやみ団(この人達死んでません。と言うか、やってきた正義の味方達を尽く返り討ちにしております。でも、この台詞って普通死亡フラグですよね?)

いよいよ怨敵『山猫(リンクス)』を追い詰めた『切り裂き屋(リッパー)』!
だが、好事魔多いし! 『山猫(リンクス)』の眼はまだ死んでいないし、何より死亡フラグが消えていないぞ!!

というわけで、「切り裂き屋(リッパー)」の戦いもいよいよ後二回で終わりです。

ここまで読んで頂いた皆様、どうぞ最後まで辛抱してお付き合い頂けるようにお願い致します。


 

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