EX=Gene

 

     「射手座の矢」


            ― The Lost Arrow ―


               
Act.4:「 鏑矢(ファーストアロー)




大統領演説の当日―――

古びたレンガ作りの建物の上で、『サンダーストライク』は眼下を広がる大群衆の数に半ば圧倒されていた。
観光客も含めれば恐らく万と言う単位を軽く超える人間の海。
まるでニューオリンズ中の人間が集まり、演説会場までの道を埋め尽くしているようであった。
これで演説は愚か、肝心の大統領がまだ到着すらしていないと言うのだから恐ろしい。

今朝、始めてシークレットサービスの警護計画書に目を通した時は五百人を超える警官、百人以上の特殊部隊、戦闘ヘリや装甲車と言う顔触れにちょっと大袈裟なんじゃないかと首を傾げた。
しかし、眼下の混沌を前にした後ではあれほどの兵力ですら心許無いような気がして来た。

『サンダーストライク』は日本の政治家の演説でこれほど多くの人が集まるのを見た事がなかった。
しかも、今日演説台に立つのは多分現在世界で一番嫌われている男だ。
彼のためにこんなにたくさんの人間がこれほどしんどい想いを我慢しているのか思うと不思議でしょうがない。

目の前の光景について今のパートナーの意見を聞きたいと思ったのだが……
『ヴリドラ』はシークレットサービス通信センターにいるアームストロングと無線のやり取りをするのに忙しくて、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。

EX-01(エコー・エックスレイ・ワン)からベース・ワンへ。公園ゲートの付近で怪しげな人物を発見。緑色のパーカーを着たアラブ系の男だ。鞄の中に楕円状の物質を三十個ばかり隠し持っている。多分腐った卵だと思うけど、爆発物の可能性もあるから調べた方がよいと思うよ」
「ベース・ワンだ。EX-01、了解した。どちらしろ対処する必要があるな。ゲートの近くにいる B-02(ブラボォー・ツー)。今の話は聞いたか?」
「こちらB-02。例の男を確認。これから確保に移る。くそ、爆発物である事を祈るぜ。俺は制服を新調したばかりなんだ」
B-02、馬鹿なジョークを言っている暇があったら仕事をしろ。EX-01、他に怪しい奴はいるか?」
「怪しい奴はいないけど、ペイン通りの C–06(チャーリー・シックス)の近くにいるお年寄りの体温と心拍数が変だ。二、三分後に倒れる可能性が大。今の内に救急隊に連絡をした方がいい」
「ありがとう、EX-01。君は実に優秀だ。……誰かさんとは大違いだな」

最後の一言は余計だと思った。
ちなみに『 EX (エコー・エックスレイ)』と言うのは『イクステンデット』チームに与えられた通信コードだ。
『ヴリドラ』が『EX-01』だが、『サンダーストライク』は『EX-02』ではない。

彼女の通信コードは『EX-00』。
つまり、ゼロ点の女の子と言うわけだ。
アームストロングの子供じみた仕返しには呆れたが、山荘でストレスを発散したお陰か、特に腹立ちも感じなかった。
『サンダーストライク』は軽く肩をすくめて自分の仕事に戻った。
特注のスコープを使って暗殺者の影を探す。
他の奴等よりも先にボルジャーノンを見つけたいと思った。

その日の朝から正午まで、『サンダーストライク』は片時もスコープから目を離さなかった。
しかし、いくら待っても暗殺者は姿を表さなかった。
大統領はパレードを終えて、既に会場に入っている。
朝まで暗殺者を自分の手で逮捕してやろうと意気込んでいた警護班の間にも白けた空気が広がり始めていた。

『サンダーストライク』も首を傾げた。
いくらなんでも遅すぎる。
大統領はもうステージに立って演説を始めている。
風は凪ぎ、空は曇り、気温も湿度も申し分ない。
絶好の狙撃日和なのに肝心のスナイパーが影も形も見当たらないのはどういう事だ?
仕事が一段落した『ヴリドラ』に話を聞いて見ると、

「ケツまくったんじゃないの? 玉突き事故に巻き込まれた時にやばいと感づいて逃げたんだろ」
「特注のライフルまで作らせたのにその程度で諦めるかな? それにFBIはボルジャーノンに尾行の専門家を張り付かせて、空港や州境に検問まで置いたんでしょ。ボルジャーノンがルイジアナから逃げたなんて連絡は受けてないよ」
「ああ言うプロはね。異能者じゃなくたって幽霊みたいに姿を消す術を心得ているもんさ。あのロシア人に拘らないほうが良いよ。あいつがいなくなったところで誰が困ると言うんだい? あたしは命の危険を犯さずにグリーンカードが手に入る。あんたも面倒臭い報告書を書かずに旦那さんのところに帰れる。良い事尽くめじゃないか」

『ヴリドラ』はもうボルジャーノンが来ないものと決め付けて、すっかりリラックスしているようだった。
『サンダーストライク』は彼女ほど楽観的にはなれなかった。
単に獲物を取り逃がして悔しがっているだけじゃない。

山荘で感じた奇妙な違和感。
それが今蘇り、彼女の耳元であの不吉なシグナルを奏でているのだ。

何者かに囃立てられているかのようにスコープを使って索敵を再開した。
そして、吸い寄せられるようにその建物を見つけた。
手元に置いた端末を使って検索するとニューオリンズ郊外で建設中の生命保険会社のビルだと分かった。

演説会場までの距離は……目測で二千八百ヤード(三キロ)近くもある。
しかし、距離が遠すぎる点を除けば、そのビルは狙撃拠点として完璧な条件を備えていた。
まず、今日は工事が休みなので出入りは容易。
ビルの表面を覆うシートのお陰で人目に付く恐れもない。
あそこの位置なら演説会場から『サンダーストライク』たちがいる建物まですっぽり視界に納める事ができるはずだ。

一瞬、鉄骨の間で何かが動いた。
それが人影のように見えた。
慌てて目を凝らして、スコープを覗く。
だが、もう何も見えない。

やはり遠すぎるのだ。
この距離では最新の照準器も役に立たない。
しかし、機械以上の超感覚の持ち主ならば……
隣りにいる『ヴリドラ』の裾を引っ張った。

「ねえ、ちょっと良い?」
「ん? 何か見つけたのか?」

訝しげな表情を浮かべてこっちを見下ろす『ヴリドラ』。
『サンダーストライク』は頷いて彼方に見えるミニチュアのような建物を指差して言った。

「あれ見える? あそこにある建設中の建物の中身を調べてもらえる?」
「あれをぉ? あそこから演説会場まで最低でも二千八百ヤード(三キロ)はあるじゃないか。まさかあそこにボルジャーノンがいるって言うんじゃないでしょうね?」

彼女の指差す方向を見た途端、『ヴリドラ』は呆れたように首を横に振った。
『サンダーストライク』はしっつこく食い下がった。

「あそこは狙撃用の隠蔽壕として完璧な条件を備えている。ボルジャーノンは改造した狙撃銃を持っている。あの距離からでも十分届くわ」
……だとしても遠すぎるよ。あそこから大統領閣下の頭をイチゴジャムに変えるのは不可能だ。カイン・ジ・ロングシューターにだって無理な芸当だよ」

私だったらできるかもしれない。
……
そう言い出しそうになるのを辛うじて堪えた。
一体この危機感をどうやって他人に伝えたものか?
理屈で言えば圧倒的に正しいのは『ヴリドラ』の方だ。
『サンダーストライク』の主張は思い付き以上の何者ではない。

しかし、頭では分かっていても、彼女はあの建物から意識を逸らす事はできなかった。
無意識の警告はスズメバチの大群みたいに彼女の頭を悩ませている。
あの建物にある何かが彼女の注意を引き付けて離さないのだ。
悩んだ末に、『サンダーストライク』は最後の手段に出ることにした。

お願い(プリーズ)……

少し躊躇った後に言った。

「お願いよ、『ヴリドラ』。一瞬で良いの。あの建物の中身を調べて。その後ならもう文句も言わないし、ずっと大人しくしていると約束するわ」
……あんなに離れた場所を調べるためには、私が会場の周辺に張り巡らしている『警戒網』を一端解除しなくちゃいけない。大統領を狙っているのはロシア人ばかりとは限らないよ。万が一の事があった場合は誰が責任を取るのさ」
「責任は全部私が取る。貴女たちには迷惑はかけないわ」

『ヴリドラ』は黙ってパートナーの目を見た。
『サンダーストライク』も負けじと相手の目に見詰め返す。
そのまま二人は何も言わずに火花を散らすほど激しく視線をぶつけ合った。
そして、最後に根を上げたのは『ヴリドラ』のほうだった。
彼女は大袈裟に溜息をつき、首を横に振って言った。

「まあ……これであんたが大人しくしてくれると言うのなら安いもんなのかもね。でも、さっき言った事で一つだけ承服できないところがあるよ」
「どの部分が?」
「責任はあんたが全部取るっていうとこ。例え、臨時でもあたしら相棒でしょ? 責任は半分っこにしようぜ」

笑って自分にウィンクを送る『ヴリドラ』を見て、胸がまた罪悪感に締め付けられるのを感じた。
『サンダーストライク』は自分がこの姉御肌の女性をちょっと好きになりつつある事を悟った。
結果はどうあれ「大人しくする」と言う約束は必ず守ろうと心に決めた。

パートナーの心情を持ち前の超感覚で察したのか、『ヴリドラ』はくすりと笑いを漏らすと顔を目標のビルに向けた。
髪を掻き分け、額を露にする。
眉と眉の間に見える昆虫の複眼のような第三の眼。
その蛇のピットに似た熱感覚器官こそ『ヴリドラ』の超感覚の源だった。
それを使って彼女は三キロ以上離れた距離にある建築物の中身を詳細に知覚する事ができる。

緊張に満ちた一瞬。
『ヴリドラ』は三キロ先に全意識を集中し、『サンダーストライク』は息を止めて相棒の横顔に見入った。
やがて、『ヴリドラ』が肺に溜まった空気を吐き出し、軽く肩をすくめた。
『サンダーストライク』も溜息をついて、肩を落とした。

EX=Sensitive
の判断は絶対だ。
『ヴリドラ』がいないと言えば、あのビルには本当に誰もいないのだろう。
やはり、さっき見た人影は勘違いだったらしい。
ボルジャーノンはとっくの昔にルイジアナの州境を超え、ひょっとしたらもうアメリカを出国しているのかもしれない……
『サンダーストライク』がターゲットの事を諦めかけた瞬間の事だった。

「なっ……

『ヴリドラ』の顔が引きつり、声が震える。

「なんで、あんたがそこにっ……

その言葉を最後に彼女は『サンダーストライク』の視界から完全に姿を消した。
頭で考えるよりも速く屋上の床に身を投げ出す。
銃身を安定させるための砂袋に変異した腕を乗せた。
その時、ようやく微かに銃声らしき音が聞こえた。
そこで始めて『ヴリドラ』が狙撃された事を知った。

スコープを通して見たビルの影から朧げながら人間の輪郭が浮かび上がる。
やはりスナイパーはあの建物の中に潜んでいたのだ!
そして、そいつは今大砲のような巨大ライフルでこっちを狙っているっ!!

『サンダーストライク』は尾行をあっさり振り払われたアームストロングの部下たちを罵った。
『ヴリドラ』以外のアメリカの『イクステンデット』すべてを呪った。
あいつらが『タイラント』の入国を拒否しなかったらこんな事にはならなかったのに!

『タイラント』ならあんな豆鉄砲に倒される事はなかった。
『タイラント』なら撃たれた瞬間、弾道から敵の居場所を探り出していた。
敵の弾丸から『サンダーストライク』を完璧に保護し、彼女の仕事を完璧にサポートしてくれた。

しかし、『サンダーストライク』の傍らに頼もしい夫の姿はいない。
彼女は一人でできる限りの事をしなければならなかった。

今彼女にできる事。
それは遠方の敵を射撃で仕留める事。
『ヴリドラ』のために救急隊を呼ぶ事。
そして、彼女の無事を神に祈る事だった。

スコープで狙いを定めながら、マイクで救援を呼ぼうとした。
しかし、彼女が口を開くよりも速く、ヘッドホンからアームストロングの声が流れ出した。

「こちらベース・ワン。全員に告ぐ。 RD(ロミオ・デルタ)チームがボルジャーノンを発見した! 諸君驚くなよ。奴は今―――

あんたの部下は、今更何をやってるんだ!
そう叫び出したいのを強靭な忍耐力で押さえ付け、無線でアームストロングの話に割り込む。

EX-00からベース・ワンへ。建築現場にいるボルジャーノンから狙撃を受けた。一命が負傷。至急救援を乞う!」

『サンダーストライク』の言葉に通信センターが蜂の巣をつっついたような騒ぎになった。
無秩序に飛び交う言葉を制するようにアームストロングが声を張り上げる。

「今なんと言った、EX-00! ボルジャーノンがどこに居たと言うんだ?」

要領を得ない相手の言葉に、ついに『サンダーストライク』の忍耐が限界に達した。

「知ってるでしょ! あいつは、ここから三キロ先にある生命保険ビルの中に隠れていたの! 『ヴリドラ』があいつに撃たれたのよ! とにかく、速く救急隊を寄越しなさいっ!!」

マイクを口元に引き寄せ、大声で怒鳴った。
焦燥と苛立ちのせいで目の端に涙すら浮かんでいた。
『サンダーストライク』は相手が自分と同じぐらい大きな声で怒鳴り返すものとばかり思っていた。
だが、アームストロングの声は驚愕と動揺で酷く掠れていた。

「馬鹿な……そんなはずはない。EX-00ボルジャーノンはもう死んでいるぞっ!!
「えっ……

一瞬、何もかもが止まった。
呼吸も、思考も、引き金にかけた指までも。
真っ白になった頭の中を一つの問いが駆け巡る。
……
そんな嘘っ!!
それじゃあ私が今―――
彼女の問いに答えるようにアームストロングが叫んだ。

「もう一度言うぞ! ボルジャーノンは死んだ! RDチームが奴の射殺死体を発見した! 報告しろ、EX-00


             ―――お前たちは一体、誰と戦っているんだっ!!!


理解と激痛はほぼ同時に訪れた。
心臓に激しい痛みを感じた瞬間―――


―――
『サンダーストライク』は自分が撃たれた事を悟りながら、闇の中に落ちていった。

 

 

 

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